企業の課題をモノづくりで解決することを目指す。創業当時からワーケーションを取り入れ、社員が働きやすい環境を整えている。
様々な職を渡り歩いた青年時代
もはや高校すら行く気がなくて、当時の担任の先生には卒業したら働こうと思ってますって言ってたんですが、ギリギリ高校には入りまして。
高校生活は、当時うちの家が若干借金あったんで、それを死ぬ気で返すためにアルバイトに明け暮れていました。
中華の出前のバイト行ったり、夜の駅の清掃の仕事したり。土日は運送屋の仕事で休みの日も全部働いたり。
それであるタイミングの時で次どこ行こうって思った時に、海外にワーホリで1年間行こうって思って、オーストラリアに行ったんですよ。
海外はご興味あったんですか?
でもそんなノリで行ってもやることもないし、ちゃんと目的持たないとと思いながら、やっぱ俺もう海外合わへんかったから帰ろうかなと一瞬思ったんですけど、いま帰ったら多分もう一生逃げ続ける人生になるなと思って。
ちょっと頑張ってみようと思って、そこで1年間働いたんですよ。
海外ではどんな仕事をされてたんですか?
最初は寿司屋の皿洗いして、次に場所移動して洗車の仕事をして。
その合間ぐらいで枝豆取りして。
途方もなく辛くて1日か2日くらいでやめました(笑)
あとは友達の紹介とかですね。とは言いながらもあんまり転々とはできないんで。
13万持って、ホテル・宿無し知識なし、英語喋れないみたいな状態で海外行ったんで、速攻お金なくなったんですよね。
ああ、やばい、死ぬ。とりあえず続けて働かないと、と思いながら頑張って、オーストラリア人の経営するレストランで最後働いて。
それでもお金なかったんで、釣竿を友達にもらって、仕事終わって帰ってきたら釣竿持って海に行って魚釣りに行く。楽しむ魚釣りじゃなくて、食べるための魚釣りっていうのをやってましたね。
IT業界へ飛び込むきっかけと起業
そこに戻って2年くらい働いた後に、独立願望があったんですけど、当時22とか23歳くらいだったんでまだ違う業種にも全然挑戦できるなと思ったんですよね。その時にオーストラリアで会ったIT社長が言ってたこと思い出して、じゃあ次頭下げてお願いしようかなと思った時にちょうどタイミングよく電話かかってきて。
会いに行ったら彼自身もその時まだ会社を立ち上げていなくて、「立ち上げようと思うからもう1回どうや」って言われて。その時はもう二言返事で「やります!」って言って。というのがこの業界に入った流れですね。
うまいこと時期が来た時に社長が「会社として手放すのは間違ってるかもしれないけど、友人としてはそろそろじゃないか」って背中を押してもらって。
じゃあやる、独立するわって言って独立しました。
受託から自社サービス開発へ
あとはね、僕が自信なかったんですよね。やっぱりサービスプロバイダーとして踏み切るために、ちょっと自信と勇気がなかったというか。堅く生きる方にどうしても舵を切ってしまうじゃないですか、人間って。
それでずっと受託をやってたんですけど、でもそればっかりじゃいけないなって思って、去年から新サービスとか新規事業の方にちゃんとシフトしようとしていろいろ立ち上げ始めたっていうのが今ですかね。
顧客が必要とするものを追求した新サービス、FULLTIME
案が出たのは去年の9月とかもうちょっと前かな。受託で関係しているお客様から「ここすごい困ってるからなんかシステム作ってくれない」って言われてサービスを作ったんですよ。で、そのサービスをお客さんが「絶対売った方が良いから売って良いよ」って言ってくれて。
最初はあまりピンと来ていなかったんですけど、色々考えていったらコレもしかしたらめっちゃ良いサービスになるかもしれないなって思って、ちょっと他の会社に意見聞いてみようと思っていろんなとこに聞きに言ったんですよね。そしたらみんな大ウケで、これいけるなって思って作り始めました。
ECの中でもさらにセグメントを切ってリピート通販っていう領域でやっていけば今までの技術もノウハウもそのまま活かせると思ったんですよね。今までに通販のバックオフィスもフルスクラッチで全部作ってたので、このノウハウがそのまま活かせると思いました。
だから簡単に技術は真似されるかもしれないんですけど、何年も何年も受託の仕事でやってきた細かいところの微妙なニュアンスとかがそういうところで活きてくると感じています。
支払い伝票受け取ってお金を払わない人がいるかどうかって、今は人海戦術でチェックしてたりするんですよ。そういう、人がやってる仕事をロボット化できるっていうのを作ってますね。
社員の働きやすさを追求した制度と、コミュニケーションで組織化する
だったら会社の制度として取り入れた方がメンバーのリラックスにもなるし、感じるものも変わるかなって思ってその目的で始めたんですよ。他にはやっぱり忙しい会社ではあるんで、強制的に休みを取らせてあげたいなと思って、平日のどっかで1日絶対休むっていう制度をとったりだとか。休みを取るのは結構割と自由にしてますね。地元の友達が東京来てたら会いに行くのが夜だけになったら機会的にもったいないし、奥さんとか恋人とかがいると誕生日くらい祝ってやんなよって思うので。
あとはコミュニケーションロスってやっぱり放っておくと必ず起きるんですよね。距離が離れるとうまくいかないと思うんで、メンバーと月に1回僕ともう2人と3人で飲みに行くみたいなのをやってたりだとか。
お恥ずかしい話今いるメンバーって若手のメンバーばっかりなんですけど、じゃあ創業メンバーどこ行ったんだってなると、去年にほとんど全員辞めたんですよ。
ずっと受託をやってて、新規事業をやりたいってビジョンは見せてたつもりだったんですけど、明確にはしてなかったんですよね。創業メンバーだし分かってくれんだろ、ってやってたら分かってもらえてなくて。
今考えたらそりゃそうだなって。
確かに5年間汲み取り続けて、あんま変わってないなって思ったら辞めますよね。そこから会社のビジョンをもう1回整理し直したりだとか、面白いやつだから採用するみたいなことをやめて。
そう。だからノリで採用するのからビジョン採用に変えて、会社内にもスキルアップのためのタスクフォースとか、オフィスを綺麗にするためのタスクフォースとかいっぱい作ったんですよ。
そうやっていろんなところを人が見てわかるような表現に落とし込んでいくっていうのをやり始めたら、だんだん組織化していきましたね。
世界の架け橋である企業になるために
僕らもともとシステムの会社ではありますし、やっぱり経営者として新しい世の中に何かを残せるようなサービスをどんどん作っていきたいっていうのはありますね。それを目標に掲げた時に自己資金だけでやっていくのって、やっぱりどこかでブレーキをかけちゃう。だったら市場に出てお金をもらえるような環境にしていくために、上場も視野に入れています。
上場をすると言ったら、周りの方からは「いろいろな制限が入ってやりづらいよ」と色々言われたんですけど、それって僕としては正解かなと思って。やっぱり対外的にも色々進出をするようになってくると組織って締まってくるなって思って。だからそれは必然かなと思うし、それって企業として大人になることかなと思ってますね。
そうですね。あとはビジネスでいろんなサービスをどんどん作っていくのもそうですし、できるのであれば日本だけじゃなくて海外展開もしたくて。アスニカって「明日に架ける」っていう言葉からきている名前なんで、いろんなところの架け橋になろう。日本だけじゃなくて世界の架け橋になるような企業を目指したいって思っています。