洋服についているブランド名の入った下げ札、襟元についているブランドネーム、品質絵表示などのアパレル向け副資材を製造されているナクシス株式会社。アパレルビジネスを革新的にサポートされています。
世界の情勢を読みながら事業を拡大させ続けるナクシスには、創業時から大切にしている考え方がありました。今回は取締役COOの中村待朋さんに、学生時代から会社で働く経緯や事業に対する想いを伺います。
事業を長続きさせる秘訣は「変化」すること
早速ですが、事業内容を教えてください。
我々はブランド名の入った下げ札・襟元についているブランドネーム・洋服の品質絵表示の3つに特化し、お客様より委託を受けて製造しています。
引用:ナクシスHPより
創業から120年間、副資材を製造していらっしゃるのですか?
帯の製造から紐の製造に変えるということは、ある意味、今までの事業を否定することになる。代々続いている伝統を断つということは、葛藤や迷いも出てくると思います。でも、いつまでも変化しないスピリットや本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ね、変えるべきところは変革していく。何を売るのか、何が求められているのかというところを常に考え、我々の会社は先代も含めて、思い切って変えていったんです。節目節目に大きな変化を繰り返しました。それで生き残れたんだと思っています。
時代の変化に寄り添った事業を進める
そうですね。ちょうどそのとき時代の変わり目でした。
洋服の歴史ってあまり知られていないと思いますが、もともと洋服は全てオーダーメイドで既製品というものは存在しなかったんです。
生地を選んで仕立てるテイラーがいて、当時はブランドの名前ではなく生地の名前でやり取りをしていました。
それが1965年くらいから、下着の既製品が出てきたんですね。それに続いてブランドが既製品を作り始め、ここが時代の変わり目になりました。
私たちの業界が一気に飛躍したきっかけでもあると思います。
もうひとつは流通が変わったこともあります。今までは、お客様が来て生地を選んで、1点ものを作る。それが既製品に変わって店頭で買うとなると、カラーやサイズで洋服が分類されるようになり、バーコードが出回り始めたんです。それまで織物のネームしかなかったものが、それで初めて印刷版が洋服につくアイテムとして追加されました。
同時に品質表示法というものができたのが30年前。価格や品質を買う人にきちんと見せなければならなくなりました。
アパレルという業態ができ始める。バーコードができ始める。品質表示法ができ始める。その度に我々とすると、1個ずつアイテムが増えていったんです。それが今の業態になったきっかけです。
挑戦が自分の成長の糧になる
古くから続いている会社は新しいことに挑戦してみたくなります。そうなった時に白羽の矢が立ったのが私だったんです。父である会長と話した時に、失敗が許されて周りが納得できるのは私しかいないとなりました。
本当の事業というものは鉢に何も水が入っていない状態で水を入れるものなんです。何も入っていない鉢に水を入れるというのは、また全然違う苦労だからそれを味わったほうが良い。歳をとってからやると潰しがきかないから、失敗も成功も踏まえて私がやるべきだということで、新しい事業を始めました。
でも、チャレンジャーでしたね。高校の時には南アフリカに留学しました。
当時はネルソン・マンデラが大統領で、アパルトヘイトが撤廃された2年後ぐらいでした。
選択肢がそれ以外になかったというだけです。英語圏は圧倒的に人気があって、募集枠を競うための面接や試験があるのですが、私は落ちてしまいました。
希望の3番目に書いてあった南アフリカに、ここだったら行けると言われて決めたんです。百科事典とか見ても南アフリカは1ページしか出てこない。インターネットもなかった時代だから調べようがない。何の情報もないけれど、とりあえず英語圏だ、行こう!と勢いにまかせて行ってみることにしました。
見たことがないショッキングな世界がそこでは繰り広げられていました。その頃の南アフリカでは、プール付きのすごく立派な家があると思えば、一歩道を渡ったら、スラムのような光景が広がっている。日本では目にすることのない光景でした。ある意味、自分がこの会社に入って、発展途上国で会社を作るということや、そこで仕事をするということに対しては、この時の経験が生かされています。
※ナクシスグループは世界に8拠点。
アジア地域における安定生産体制の構築を実現すべく、生産トレンドを踏まえた拠点進出に注力しています。
そうですね。あとは語学留学をしたことが自分の中ですごく役に立っていると思います。早い人は3ヶ月くらいで英語を話せるようになると言われている中、私は上達が遅く、8ヶ月くらい話せませんでした。
でも、私は話せなかった8ヶ月間に価値があると思っています。この8ヶ月間に五感が研ぎ澄まされました。匂いや間合い、空気といったものを必死で察するんです。
それは今の私の中でも人に会うとか対人関係であるとか、ビジネスをする上でのベースになっています。単純に英語が話せるからグローバルということではなく、語学留学で五感が研ぎ澄まされました。
思いが事業を作る
実は、元々は大学に行くつもりはなかったんです。勉強から逃げていたのかもしれません。
でも南アフリカに留学したことで気持ちが変わりました。南アフリカでは車が停まる度に、貧しい子どもたちが物乞いをしてくるわけです。私はたまたますごくお金持ちの家にホームステイをしていたのですが、車に乗ってふとそれを見た時に、この壁1枚の違いって何なんだろう?と思いました。
東京に来て3年営業をやり、そこから香港で6年くらい海外営業をやって、2010年に日本に戻ってきたという感じです。
最後に、将来起業を目指している人や若者に向けて、中村さんが今までチャレンジし続けてきた根本的な思いというか、こういうのを大切にしたほうがいいという思いがあれば、お伺いしたいです。
人間って欲があるので、ついお金を稼ぐことを考えてしまいがちです。でも失敗したくない、お金を稼ぎたいという気持ちばかりが先走ってしまうと、方向性を見失ってしまい、やる意味がわからなくなってきてしまうんです。
その時に私が思いついたのは、疑問に思って、不都合だなと思うこと、世の中に対して怒りを感じることを探そうと思ったんです。それを解決することが存在意義であり、絶対的に事業のコンセプトにならないと駄目だと。
なぜなら、お金が行き詰ってくると焦りが出てコンセプトがブレてくるんです。その時にやり続ける原動力って、どこにあるんだ?と思った時、最初に感じた世の中の不都合だったり、自分が感じた怒り、それを自分が正すという信念がないと事業はうまくいかないと思います。
そして、やるのであれば必ずそこを担う。そう考えるとすごく良い事業が生み出せる可能性が出てくるし、継続する気持ちが持てるのではないかと、私は経験して思いました。
明治時代から続く老舗企業でもあるナクシス。でも現状に満足することなく、常に時代の変化を感じ取りながら進化を続けてきました。これからもどんな進化を遂げていくのか?
今後のナクシスに注目です!