挑戦と変化が会社を存続させる。120年の歴史を持つ会社が今なお成長を止めない理由とは。 ナクシス株式会社 代表取締役COO 中村待朋さん

洋服についているブランド名の入った下げ札、襟元についているブランドネーム、品質絵表示などのアパレル向け副資材を製造されているナクシス株式会社。アパレルビジネスを革新的にサポートされています。

世界の情勢を読みながら事業を拡大させ続けるナクシスには、創業時から大切にしている考え方がありました。今回は取締役COOの中村待朋さんに、学生時代から会社で働く経緯や事業に対する想いを伺います。

 

人物紹介:代表取締役COO 中村待朋さん
ナクシス株式会社の代表取締役COO。高校時代には南アフリカへの留学経験もあり、若くして世界を見た経験がものづくりの事業に生きている。2013年にはものづくりをより身近に、様々な形で楽しめるようになることを目指した新規事業を立ち上げた。

 

人物紹介:石島
TACHIAGEの起業家インタビュアー。教員を目指していた時期もあり”子どもたちに勉強の楽しさを教えるのが好き”という側面も持っている。

 

事業を長続きさせる秘訣は「変化」すること

本日はよろしくお願いします。
早速ですが、事業内容を教えてください。
簡単に言うと、アパレル向けの副資材を製造しています。アパレル向けの副資材というのは洋服を作るパーツのことです。
我々はブランド名の入った下げ札・襟元についているブランドネーム・洋服の品質絵表示の3つに特化し、お客様より委託を受けて製造しています。

引用:ナクシスHPより

アパレルのメーカーさんが作られているわけではないのですね。
創業から120年間、副資材を製造していらっしゃるのですか?
私は創業の一族なんですけれど、元々は京都で着物の帯を作っていましたので、120年前に業態を変革したという言い方が正しいですね。ちょうどその頃は明治時代で明治維新が起きて、人の着るものが和装から洋装に切り替わるタイミングだったんです。帯を作っていたものが「これからは洋服の時代が来る」となりました。
洋服が一般的になったことが事業内容の変化のきっかけだったのですね。
そうですね。そして、今まで着物を着ていた方が洋服を着だすと髪型も変わっていきました。和装の時のように髪を結わなくなると、髪をくくるためにリボンや細い紐が要るんです。そのために、元々帯を織っていたものを細くして紐を作るようになったというのが業務変革でした。
それにしても120年続いてきたのはすごいですよね。ここまで続けられた理由というのは何だと思われますか?
企業として生き残るという部分で言いますと「変化すること」だと思います
帯の製造から紐の製造に変えるということは、ある意味、今までの事業を否定することになる。代々続いている伝統を断つということは、葛藤や迷いも出てくると思います。でも、いつまでも変化しないスピリットや本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ね、変えるべきところは変革していく。何を売るのか、何が求められているのかというところを常に考え、我々の会社は先代も含めて、思い切って変えていったんです。節目節目に大きな変化を繰り返しました。それで生き残れたんだと思っています。

 

時代の変化に寄り添った事業を進める

紐から始まって、アパレルの副資材を作り始めたのはいつ頃からですか?
1965年から法人という形でやっています。そこから近代的な会社のやり方になっていますね。
会社の長い歴史から見たらまだ最近ですね。

そうですね。ちょうどそのとき時代の変わり目でした

洋服の歴史ってあまり知られていないと思いますが、もともと洋服は全てオーダーメイドで既製品というものは存在しなかったんです。
生地を選んで仕立てるテイラーがいて、当時はブランドの名前ではなく生地の名前でやり取りをしていました。

それが1965年くらいから、下着の既製品が出てきたんですね。それに続いてブランドが既製品を作り始め、ここが時代の変わり目になりました。
私たちの業界が一気に飛躍したきっかけでもあると思います。

社会の流れに合わせて、御社も変わられたのですね。

もうひとつは流通が変わったこともあります。今までは、お客様が来て生地を選んで、1点ものを作る。それが既製品に変わって店頭で買うとなると、カラーやサイズで洋服が分類されるようになり、バーコードが出回り始めたんです。それまで織物のネームしかなかったものが、それで初めて印刷版が洋服につくアイテムとして追加されました。

同時に品質表示法というものができたのが30年前。価格や品質を買う人にきちんと見せなければならなくなりました。
アパレルという業態ができ始める。バーコードができ始める。品質表示法ができ始める。その度に我々とすると、1個ずつアイテムが増えていったんです。それが今の業態になったきっかけです。

挑戦が自分の成長の糧になる

新しい事業もいくつかやられていますよね。
チャレンジですよね。
古くから続いている会社は新しいことに挑戦してみたくなります。そうなった時に白羽の矢が立ったのが私だったんです。父である会長と話した時に、失敗が許されて周りが納得できるのは私しかいないとなりました。
もうひとつは5代続いて会社も大きくなり、ある程度順風満帆にやっている気になっている、だけどそれは今までの先人が築き上げてきたものなんだと言われたんです。それでもよくやっているけれど、それは水の入った鉢をこぼさないように歩くのが上手くなったにすぎないと。

 

本当の事業というものは鉢に何も水が入っていない状態で水を入れるものなんです。何も入っていない鉢に水を入れるというのは、また全然違う苦労だからそれを味わったほうが良い。歳をとってからやると潰しがきかないから、失敗も成功も踏まえて私がやるべきだということで、新しい事業を始めました。

成長を見据えた挑戦なんですね。若いうちに挑戦を、とのことでしたが、中村さんは学生時代も含めてどういった育ち方をされたのですか?
ごくごく普通の若者でした。
でも、チャレンジャーでしたね。高校の時には南アフリカに留学しました。
当時はネルソン・マンデラが大統領で、アパルトヘイトが撤廃された2年後ぐらいでした。
なぜそこを選ばれたのですか?

選択肢がそれ以外になかったというだけです。英語圏は圧倒的に人気があって、募集枠を競うための面接や試験があるのですが、私は落ちてしまいました。

希望の3番目に書いてあった南アフリカに、ここだったら行けると言われて決めたんです。百科事典とか見ても南アフリカは1ページしか出てこない。インターネットもなかった時代だから調べようがない。何の情報もないけれど、とりあえず英語圏だ、行こう!と勢いにまかせて行ってみることにしました。

そこで行けるのがすごいです..!どのくらい行かれたのですか?
1年です。南アフリカに行ったことは、自分の中で大きなターニングポイントになりましたね
見たことがないショッキングな世界がそこでは繰り広げられていました。その頃の南アフリカでは、プール付きのすごく立派な家があると思えば、一歩道を渡ったら、スラムのような光景が広がっている。日本では目にすることのない光景でした。ある意味、自分がこの会社に入って、発展途上国で会社を作るということや、そこで仕事をするということに対しては、この時の経験が生かされています。

※ナクシスグループは世界に8拠点。
アジア地域における安定生産体制の構築を実現すべく、生産トレンドを踏まえた拠点進出に注力しています。

若いうちに世界を見たということが大きかったのですね。

そうですね。あとは語学留学をしたことが自分の中ですごく役に立っていると思います。早い人は3ヶ月くらいで英語を話せるようになると言われている中、私は上達が遅く、8ヶ月くらい話せませんでした。

でも、私は話せなかった8ヶ月間に価値があると思っています。この8ヶ月間に五感が研ぎ澄まされました。匂いや間合い、空気といったものを必死で察するんです。

それは今の私の中でも人に会うとか対人関係であるとか、ビジネスをする上でのベースになっています。単純に英語が話せるからグローバルということではなく、語学留学で五感が研ぎ澄まされました。

思いが事業を作る

1年間留学されて、帰ってこられたわけですよね。その後はどうされたのですか?
高校に戻って、その後は大学に進学しました。
実は、元々は大学に行くつもりはなかったんです。勉強から逃げていたのかもしれません。
でも南アフリカに留学したことで気持ちが変わりました。南アフリカでは車が停まる度に、貧しい子どもたちが物乞いをしてくるわけです。私はたまたますごくお金持ちの家にホームステイをしていたのですが、車に乗ってふとそれを見た時に、この壁1枚の違いって何なんだろう?と思いました。
その後、現地の人に仕事がないのはなぜかと聞いてみたところ、「字が書けないから、肉体労働しかできない」とほとんどの人が答えました。その時に、勉強をすることってすごく大事なんだなと感じました。できる限りの勉強をしておこうと、気持ちを入れ替えて大学に進学することにしたんです。
そのような経緯があったのですね。その後はナクシスさんに入られたのですか?
そうです。入った当時は中村レーベルの社名でした。もっと昔は中村織ネームという会社だったんです。将来的にグローバル企業になりたいという考えで、まずはロゴがナクシスになって、段階を踏んで社名が切り替わりました。
東京に来て3年営業をやり、そこから香港で6年くらい海外営業をやって、2010年に日本に戻ってきたという感じです。
もともとナクシスというのは、どういう意味があるのですか?
1個ずつ意味があって、Nは中村のNとNew、AはAction、Xは掛ける、無限の広がりという意味、IはImagination、SはSystemというのを組み合わせています。新しいチャレンジ、アクションとともに、新しい発想をしていこう、そういう会社にしていこうという思いを大事にしています。
思い入れのある名前って良いなと思います。
最後に、将来起業を目指している人や若者に向けて、中村さんが今までチャレンジし続けてきた根本的な思いというか、こういうのを大切にしたほうがいいという思いがあれば、お伺いしたいです。

人間って欲があるので、ついお金を稼ぐことを考えてしまいがちです。でも失敗したくない、お金を稼ぎたいという気持ちばかりが先走ってしまうと、方向性を見失ってしまい、やる意味がわからなくなってきてしまうです。

その時に私が思いついたのは、疑問に思って、不都合だなと思うこと、世の中に対して怒りを感じることを探そうと思ったんです。それを解決することが存在意義であり、絶対的に事業のコンセプトにならないと駄目だと。

なぜなら、お金が行き詰ってくると焦りが出てコンセプトがブレてくるんです。その時にやり続ける原動力って、どこにあるんだ?と思った時、最初に感じた世の中の不都合だったり、自分が感じた怒り、それを自分が正すという信念がないと事業はうまくいかないと思います。

そして、やるのであれば必ずそこを担う。そう考えるとすごく良い事業が生み出せる可能性が出てくるし、継続する気持ちが持てるのではないかと、私は経験して思いました。

大変勉強になりました!ありがとうございました。

 

編集後記:阿部
終始笑顔で楽しそうにお話してくれた中村さん。中村さんがいるだけでその場が明るくなるような、ポジティブなオーラに包まれていました。
明治時代から続く老舗企業でもあるナクシス。でも現状に満足することなく、常に時代の変化を感じ取りながら進化を続けてきました。これからもどんな進化を遂げていくのか?
今後のナクシスに注目です!
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